「QOLの意味を感じた出来事」中編です。
前編では、実体験に基づいた2年前までの出来事を記しています。
この中編でも、なかなか赤裸々に😁綴ってみました。
日頃の仕事において、お客様との向き合い方を考えることにも繋がる体験談です。
抗がん剤投与のステージへ
2年ほど前に、父の前立腺がんの治療方法を、ホルモン療法から抗がん剤治療(ドセタキセル)に変えました。
約11年の間、ホルモン療法で闘病生活を送ってきましたが、
PSA値の上がり幅やその数値(PSA値10超)から考えて、抗がん剤に切り替えた方が良いとの主治医の判断でした。
抗がん剤となると周知のとおり、副作用の症状も一定程度出る可能性が高く、
がん細胞をアタックすると同時に本来あるべき正常な細胞もアタックするため、
身体へのダメージも当然あります。
案の定、抗がん剤の副作用ははっきりと現れてきました。
まずは完全に髪の毛は抜けてしまいます。びっくりするほどです。
投与後の食欲不振や倦怠感、手足のむくみ、しびれ等、父から聞く限りですが、
様々な身体へのダメージが出てきたのは事実でした。
もともと父は、弱音を吐かない、辛くても表に決して出さない人なので、
私が聞いても「元気やから心配するな」としか言わず。
ただ、母や近くに住む姉からは普段の様子を聞いていたので、
できる限りは様子を見に帰省したい!と思っていた矢先のコロナ禍。
なかば無理やり実家にタブレットを送りつけ、ZOOMの使い方を毎日レクチャーして、
オンラインで顔を見ながら話せる環境を作りました。
もう大変でしたよ!笑
80歳超えの両親にZOOMの使い方を覚えてもらうのが。
ボタンをひとつ押すだけの操作でも、毎日同じことを繰り返さないとすぐに忘れてしまいますし😂
これで、普段の様子は把握できるようになったものの、
やはりリアルに会うのとは違うので・・・ここは譲れない!ということで、
この1年は数ヶ月に1度、弾丸帰省しています。
ただ、この帰省は、実は父や母に会うためだけでなく、ある人に会うためでもありまして・・・。
放射線治療科のK先生
前編で記しましたが、父が劇的に快復を遂げた放射線治療を担当してくださったK先生。
13年前の当時、放射線治療を約1か月間実施し、その後は経過観察で数カ月に1回の通院を何度か続けた後、
「もう、僕のところには診察を受けに来なくても大丈夫ですよ!」
と言われたのですが、
父がこれからも定期的にK先生に様子を診てもらいたいという強い意向を伝えたことで、
ホルモン療法や抗がん剤治療の通院(主治医のいる病院)とは別に、今も半年に一度、
状況報告とK先生のお話を聞くために先端医療センターに通わせていただいています。
先生からすれば、ご多忙な中、迷惑な話でしょうが、快く希望を受けてくださっています。
そしてここ1年は、私もK先生に会いたくて💡、父の診察に同席するため帰省しています。
私がK先生のことを信頼しているのは、放射線治療の効果で父の病状が良くなったからという単純な理由ではありません。
13年前からずっと変わらず、父と丁寧に向き合ってくださってきたこと、
私達家族へも真摯に対応してくださってきたこと、
そこに絶大な信頼を寄せています。
忘れもしません。
以前、私はK先生に無礼を働いたことがあります。
父が放射線治療を開始した当初、父は娘である私に心配かけまいと、病状をあまり詳しくは伝えてくれませんでした。
余命宣告され、この治療も効果があるか無いかわからない状況だったからでもあると思います。
実家から離れた場所に住む私にとっては、現状や情報が見えにくいことが不安でしかたなく、
「このままでは埒が明かない!」と思い、
K先生にこっそり父の状況を聞いて、今後のアドバイスを受けられないだろうか?と考えました。
ネットでK先生の情報を片っ端から調べ、なんとか先生個人の連絡先にたどり着き
(これもご本人から驚かれましたが)、
自分なりにはかなり丁重にメールをお送りしたつもりでした。
「父の現在の病状の詳細と、もし放射線治療の効果が無かった場合、他に可能な治療法を教えて欲しい」と。
冷静に考えれば、患者である父の情報を、たとえ家族とはいえ患者の承諾なく簡単に話せる訳はなく、
ましてやメールで娘と名乗り個人情報を開示していても、実際どこの誰かも分からない人に、患者について話すお医者さんがいるわけないのです。
当時は私自身、そんなことも想像できないくらい混乱していたのでしょう。
K先生から返信が届きました。
「どこで私の連絡先をお知りになられたのでしょうか?申し訳ありませんが、何もお答えできません。聞きたいことがあれば、お父様の診察に同席してください。」
と。
先生、大正解です(笑)
私はその返信を読んだ瞬間に、自分の無礼を猛省し、父にも事の経緯を伝えて詫び、
数か月後の診察日に合わせて神戸に飛ぶことになります🛫
素直に何でも話せる不思議
放射線治療が終了し数ヶ月経った頃、K先生の診察の日に合わせて帰省し、父と同席しました。
まずは、
「大変申し訳ございませんでした」と頭を下げ、お聞きしたいことがいくつかありますと伝えると、
「いや、いいんですよ」と、
それまで私に背を向ける体勢でデスク上のPCに向かわれていたK先生が、身体ごと180度向きを変えて膝を突き合わせる体勢をとられました。
そして、ご自身の膝に両手を置いて、私の目をまっすぐ見つめながら話を聞いてくださったのが、とても印象的でした。
人の話を聞く時、相手の方を向いて目を見て聞くというのは、小学校で習うようなごく当たり前のことのようですが、
ちょっと思い返してみてください、病院外来での診察の場面を。
たいていのケースでは、先生はPC画面に映し出されたカルテを見ながら、時折、患者さんの方を見て話をされませんか?
(それが悪いと言っているわけでは毛頭ありません)
場合によっては、画面に向かって話をする先生もいらっしゃいます。
もちろん、そうでない先生もいらっしゃることは十分理解しています。
ですが、私の人生経験からは、とても印象的だったのは間違いありません。
そして、K先生はゆっくり丁寧に、私の質問に答えてくださいました(質問の内容は10数年前のことで、実はよく覚えていません)。
「K先生に診てもらえてよかったね、これからもお世話になりたいね」
と父に伝えたのは覚えています。
その後も半年に一度の診察の中で、何年かに一度ですが同席し、K先生に思うことを素直にぶつけて、その時々のアドバイスや色々な事例も聞かせていただいてきました。
不思議なのですが、K先生には何でも自分の考えや思うことを話せてしまうのです。
相談を受ける仕事に従事している身としても尊敬の念とともに多くの学びがあります。
一番の薬
少し脱線しました、話を戻します。
2年前に治療方法を抗がん剤に切り替えてから半年ほど経った頃、ちょうど去年の夏あたりです。
普段から、まず弱音を吐かない、しんどくてもしんどいと絶対言わない父が、
珍しくK先生の半年に1度の診察の際にポロっとこぼしたそうです。
「先生、もう私は年内くらいで持たないんじゃないかと思っているんですよ」と。
抗がん剤の副作用が、本人にとって辛くこれまでにない身体へのダメージも感じていたのだろうと思います。
私たち家族には絶対に吐かないであろう父の本音。
その時、K先生は、すかさず大笑いされて、
「何を言ってるんですか!絶対にそんなことにはならないですよ!!」
と、仰ってくださったと、その時同席していた姉が聞かせてくれました。
そして、父の話を聞きながら質問にも丁寧に答えてくださっていたとのこと。
姉曰く
「もう、お父さんの病院に行く時の足取りや表情と帰る時のそれがぜんぜん違うねん!」
と。
いろいろ聞きながら私は、
K先生は、また父を救ってくださったな・・・と思いました。
放射線治療の時に続いて2回目ですよ、先生。
患者である父にとって、先生の言葉と反応が、どれだけ大きな生きる力になることか。
たとえ仮に、確かな根拠が無かったとしてもです。
80歳を超えて、長い闘病生活を続けてきた父には、その時の先生の言葉が一番の薬になったと感じています。
その証として、それから1年半、おかげさまで大きく変わらぬ生活を送ることができています。
ですが、抗がん剤投与を開始して2年。
PSA値の推移が上がっていくのを完全に止めることはできず、副作用と闘いながらもじわじわとがんは進行していきます。
主治医から「そろそろ、次の抗がん剤(カバジタキセル)のステップへ進みましょうか」と言われたのが、今年の7月。
つい3か月前の出来事です。
「QOLの意味を感じた出来事(後編)」に続きます。
※またまた長くなってしまい、次回の後編で完結です(のつもりです)😅
最後までお読みいただき、ありがとうございます。