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FPとして思うこと

QOLの意味を感じた出来事(後編)

「QOLの意味を感じた出来事」後編です。

前編では、実体験に基づいた2年前までの出来事を、中編では抗がん剤治療を始めてからの出来事を記しています。

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QOLの意味を感じた出来事(中編)「QOLの意味を感じた出来事」中編です。 前編では、実体験に基づいた2年前までの出来事を記しています。 https://as...

後編では、いよいよ本題(?)に入ります(長くてすみません💦)

QOLを優先すべきと思うのは間違いか?

抗がん剤治療を開始して1年余りの今年7月のことです。

主治医から、PSA値の上がり幅が大きくなり始めたこともあり、
そろそろ次のレベルの抗がん剤(カバジタキセル)に変更することも考えましょうか、と提案されました。

父は、がんの進行を少しでも抑えられるなら変更したいと思う反面、
副作用が今よりつらくなることへの不安も拭えない様子でした。

今の抗がん剤でも、父にとっては相当の副作用があり、
脱毛はもとより、手足のむくみ、しびれもあり、投与後の2週間は、食欲も無くなり、
倦怠感から日中も横になる時間が長くなるとのこと。

全く食べないわけにはいかないので、無理して食べても味がしない、量も少ししか食べることができず。

ただ、その後の2週間は比較的元気に戻り、食も進み、碁会所通い、グランドゴルフも楽しみながら、
普段通りの生活が出来るようになります。

抗がん剤投与のクールが4週間のため、2週間おきに辛い時期を過ごす生活を約2年続けてきています。

そんな状況下での抗がん剤のレベルを上げようかという話。

前立腺がんの進行の目安となるPSA値が20を超え、上がり幅もやや大きくなり始めてきたためでした。

 

その同じ7月に、半年に一度の放射線科のK先生の診察があり、
私も同席し、私自身の想いを先生にぶつけてみました。

「素人の考えですが、PSA値の推移だけに振り回されているような気がしてなりません。
がんの進行を示す目安であることはわかっています。ですが、数値ありきで、数値を抑えるためだけに、今、仮に抗がん剤のレベルを上げて、さらに辛い副作用を毎月『また来るのか・・・』と迎える生活を続けるのは、どうなんでしょうか。
がんよりも抗がん剤に身体がやられてしまう印象が拭えなくて、完治しないのならなおさら、何が正解なのかわかりません。」

K先生は、次のレベルの抗がん剤に変えることにより加わる可能性が高い副作用について父と私に説明してくれました。

「骨髄に、よりアタックします。骨髄は血を造る機能がありますから、血液へのダメージがあります。足のむくみがひどくて立てなくなったり、痺れがひどくなることもあります。」

そして、

「お父さん。僕のところに来たのが何年前か覚えていますか?13年前、70歳の時ですよ。
その頃の治療と今80歳を超えた身体にする治療が全く同じであっても体が受ける負荷が全然違うのは当たり前なのはわかりますよね。
若い頃は積極治療、要は多少身体に負荷をかけてもがん細胞を攻撃するも良しですが、完治しないという前提の中で、さらに積極治療(抗がん剤のレベルを上げる)するのか、それとも負荷をかけない治療(今の抗がん剤で様子を見る)を継続するのか。
変に身体に負担をかけることが必ずしも良いとは限らない。いかに元気に長生きするかに視点を置くことも大事なのではないかとも思います。」

父の身体のことなので、判断は父に任せたいという思いがありながらも、
人生を考えるとき、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)がいかに大切なのかということも、この時初めて感じたのでした。

父の決断

そして、数週間前の9月下旬、月1回の診察と血液検査、抗がん剤投与の日がやってきました。

この日は、治療法を変える方向の話を主治医から聞くタイミングでもあり、私も同席することにしました。

もちろん余計なことは言いません、娘としての思いはあれど、父の意向に任せますという姿勢で。

父と病院に行き、待合室の長椅子に座って待っていた時、ふと父が、

「抗がん剤は変えずにいこうと思っている。あと、抗がん剤のクールを6週間に伸ばしてもらえないかお願いしようと思ってるんや。」
と言ってきました。

母にも姉にも、もちろん私にも、そんなこと言ったことなかったのに。

「がんよりも抗がん剤に殺されるような気がする、と言っても抗がん剤を完全にやめる勇気はまだない。でもしんどいんや、副作用が。」
と。

主治医には当然ですが、やや難色を示されました。
ですが、父の意向を尊重していただきました😌

主治医のカルテに「QOLを考えての治療との意向」と目の前で打ち込まれながら、
これでいいのか?これでいいんだ!と、複雑な心境で診察室を後にしました。

父は、抗がん剤のレベルを上げる治療を選択すると思っていました。

母や姉、私が何を言っても、
「先生に言われるように治療を進めたらいいんや」と、

これまで辛抱強く治療を続けてきましたし、がんに負けたくないという父の強い気持ちも色々な場面で感じてきたので。

ですが、今回の父の決断は、間違っていないと信じています。

生きるということが、どういうことなのか?

自分との闘いの中での今の答えなのだと感じています。

おわりに

自宅の父のベッドの脇に2ℓのペットボトルが2本置いてあり、
「これは何?」と聞くと、
両手にそれぞれ持って毎朝1,000回、筋トレしているとのこと。

副作用が軽くなる期間は、毎日ウォーキングも欠かさない。

実は、1年前に家の中で転んで大腿骨を骨折し緊急手術した父。
太いボルトが身体に入っています。

医者からは良くて杖歩行、車椅子生活も考えておいてと言われましたが、
意地のリハビリで普通歩行できるまで快復しています。

当時、82歳です。
父の強さ、生きる力にはとても頭が上がりません。

 

私の勝手な憶測ですが、父は同居の母のことも考えて、
副作用がこれ以上ひどくならないよう、楽な時期が長くなるような治療をお願いしたのでは?
とも感じています。

がんの進行を防ぐ積極治療ではなく、

父にとって、広い意味でのQOLの向上が、現時点では今後の人生の意味を成すのかもしれません。

 

今回、父の闘病記のごくごく一部ですが、公にブログに書くかどうかについて、とても迷いました。

ですが、父と同じように闘病されている方や、そのご家族に私の経験が少しでも届いて、励みになったら・・・

そしてどんな状況でも諦めないで、何か手段があるかもしれないという思いが勝つこともあるということを、

これは私自身のこれからの人生に言い聞かせる意味でも、記しておこうと思いました。

そして、K先生との出会いへの感謝と学びも財産としてです。

 

帰省して、私が横浜の自宅に戻る時、必ず両親が揃って最寄り駅の改札で見送ってくれます。

振り返って手を振りながら、毎回思います。

「この風景が見れるのは、これが最後かもしれない」と。

これまで10数年の間、帰省のたびにもう何度もそう思ってきました。

ですが、きっとこれからも何度もそう思うのを繰り返すと信じています。

もちろん、永遠は無いとわかっています🍀

 

希望とは、必ず良くなる、夢は叶う、奇跡だって起こる、そう信じること

 

長編に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。

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