涼子’s room
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FPとして思うこと

QOLの意味を感じた出来事(前編)

最近、QOL(クオリティ・オブ・ライフ)という言葉を耳にする機会が増えてきました。

特にここ数年の間に、
色々な背景をもとにそれぞれの場面でQOLが語られるようになってきているとも感じます。

ですが、私の50年弱の人生の中で、QOLについて真剣に考えたことがあったかと言われると、実はほとんど無く、

とにかく毎日、目の前の生活を送って過ぎていくことに、特に大きな疑問も感じずにきました。

ただ、あることがきっかけで、真剣に考えるようになったのが今年の7月のことです。

闘病中の父

実は、私の父は、前立腺がんの診断を受けてから13年になります。
現在83歳ですが、今も闘病しながら、おかげさまでほぼ通常の生活を送っています。

これまでの間、なんとなく治療をしながら闘病してきたなんてことはあるはずもなく、

何度も色々な出来事があり(このあたりの話は今回割愛します)、
母と姉と私で、その時の最善と思われる対応を考え、動いてきたつもりでいます。

13年前、たまたま父が思いつきで前立腺がんの検診を受けた際に、がんが見つかりました。
当時70歳。

その時すでにステージ4と言われ、前立腺がんの判定の目安となるPSA値が168(健康な方のPSA値は3~4以下)。

本人はもとより、母、姉、私も予想だにしない宣告に動揺するしかなく、
とにかくセカンドオピニオンを!と、再度検診を受けましたが、結果は変わらずでした。

主治医からは、がんの進行度合いと年齢から考えて手術で解決できる状況でもなく、転移の可能性も十分あるため、まずはすぐに内分泌療法(ホルモン療法)で様子を見ましょうということに。

前立腺がんは比較的進行がゆっくりしたがんで、高齢だとなお進行が遅めになる傾向にあるとのことでしたが、当時、同時に余命宣告も受けました。

普段から健康な父だっただけに、なかなか現実を受け入れられず、
ただなすすべもなく、様子を見ながら終わるしかないのかと思うと居ても立ってもいられず、あらゆる先にアプローチをして情報を集めました。

何か打てる策は無いのか?と。

そこで、候補として出てきたのが「放射線治療」です。

主治医からは放射線治療もおそらくほぼ効果が無く、仮に他の部位にガンの転移があったらそもそも放射線治療はできないとのことで、転移の可能性が高いと見られていた父は初めから勧められていなかったのですが、

私達家族からすれば、ほんの数%でも良くなる可能性があるのならと、無理をお願いしました。

「放射線治療の専門医を紹介しますので、そちらで治療を受けてください」
と主治医に紹介状を書いていただき、先端医療センター(当時)で治療を受けることに。

希望とは、必ず良くなる、夢は叶う、奇跡だって起こる、そう信じること

まずは、がんの転移の有無の検査からでした。

PSA値とステージから考えて、転移の可能性も十分あることを告げられた上での検査でしたが、
奇跡的に転移が見つからず、放射線治療を受けられることに!

そこで父を担当してくださった、放射線治療科のK先生との出会いが、
父の人生を大きく変えたと私は個人的に思っています。

約1カ月間、毎日照射治療に通う父の声をとても丁寧に拾ってくださり、
質問にも親身に答えていただきながらの治療だったとのこと。

先生からすれば、何百人、何千人もの患者さんを診るわけで、色々な患者側からの同じような質問や悩みや泣き言にどれだけ対応されているかと考えると、それでも親身に対応していただけるのはとてもありがたく。

きっと、患者である父にとっても生きる力をいただいていると感じています。

そして実は、なんと・・・

放射線治療を受けたことで、奇跡が起きたのです。
劇的にPSA値が下がり、数値が1以下に

こんなことが起こるのか??と、正直驚きました。

私の人生の中で、奇跡という言葉を初めて体感した出来事だったかもしれません。

私の大好きな絵本作家の葉祥明さんの言葉に、
「希望とは、必ず良くなる、夢は叶う、奇跡だって起こる、そう信じること」
というのがあります。

まさに、その通りだと。

病院の先生方もみんな相当驚かれていました。
ここから、当初は余命宣告された父の長い闘病生活が始まります。

まな板の鯉

とりあえず窮地を脱したものの、3ヶ月に1回の血液検査とホルモン剤投与(ホルモン療法)が始まりました。

定期的な血液検査でPSA値の推移でがんの進行度合いを確認しながら、状況に応じて治療法のレベルを上げていくことになります。

前立腺がんは、完治しないがんとも言われることもあり、
「長く上手に付き合っていくがん」であることが理解できます。

PSA値は、ジワジワと上がっていきます。
それでも3ヶ月に1回、検査をして投薬して、また3か月後を繰り返すのです。

どんな思いで、父はこの治療生活を続けているのだろう?

私が同じ立場だったら平常心で日常生活を送ることができるのだろうか??
と、いつも思い続けてきました。

まさに「まな板の鯉」状態だと。

多少の副作用もありながら、
父が闘病生活の中で続けているのがウォーキングと碁会所通い、グランドゴルフ。

特にウォーキングは毎日欠かさず、
「ほんと、お父さんの頑固さというか根性があるというか・・・大雨の日以外は毎日歩きに行ってるよ。」
との母親談。

本人なりに出来ることで、がんに負けない身体づくりを意識しているのでしょう。

それなら父は、まな板の鯉ではないのかもしれません。

気持ちのもちようで、病の進行も変わるのだろうとも感じます。
私だったらになってますね、きっと。

 

放射線治療を受けてから約11年の間、ホルモン療法を続けてきた父ですが、
とうとう、抗がん剤治療を受けなければならないステージがやってきました。

2年前のことです。

「QOLの意味を感じた出来事(中編)」に続きます。
※また、前編で本題に入れませんでした💦すみません

 

最後までお読みいただき、ありがとうございます。

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